【精神科訪問看護講座④】精神科医療の過去・現在・未来 (後編)

Ns田端
みなさん、こんにちは!精神看護専門看護師の田端恭平です。

精神科の訪問看護について紹介させていただいています。

前回は、日本における精神科医療の歴史や法律について解説しました。

現在の精神科医療がどのような経緯で作られたのか・・・

未来の精神科医療を考えるためには、歴史を学ぶことが大事であると考えます。

そして、歴史から学ぶにあたっては日本だけでなく、海外との違いを知ることで未来について考えやすくなります。

今回の講座では、海外と日本の精神科医療の歴史的変遷の違いを学び、これからの精神科医療のあり方について考えていきましょう。

 

前回の日本における精神科医療の歴史や法律については以下の記事を参照ください。

 

 

日本と海外の精神科医療の違い

 

 

1400年前後(室町時代の頃)
イギリスやフランスでは、精神障害者を病院で扱うようになりました。

しかし、その環境は劣悪なものだったようです。

Ns田端
この時代の日本では病院がなかったため、精神障害者は寺院にいたのではないかという記録が残っています。

 

1774年
イタリアでは、精神障害者の人道的ケアを謳った精神衛生法が施行されました。

 

1785年
イタリアでは、精神障害者に対する開放的処遇を発表されました。

開放的処遇とは、病歴記載方法、高度の衛生管理、レクリエーション施設、作業療法、拘束の制限など、人権思想に関する手法が提示されたものになります。

Ns田端
日本では、上記のような開放的処遇が1985年頃にようやく提示されたので、イタリアに比べて200年ほど精神科医療が遅れをとっています。

 

1817年
アメリカでは、「道徳療法」を行う精神病院が開設されました。

道徳療法は人権を尊重し、様々な課題(作業)に取り組みながら規則正しい生活を送ることで精神症状の治療を行います。

Ns田端
日本の病院で道徳療法を行うようになったのは、150年ほども先になります。

 

1904年
イタリアでは、精神障害関連法である法律第36号を成立させ、自傷他害・公序良俗を汚す恐れのある患者の強制入院を行うようになりました。

Ns田端
強制入院に関しては、海外に比べ日本は早く、本人の権利を尊重した任意入院が後からできています。

 

1959年
イギリスでは、精神保健法が制定され、拘留ではなく自由意志での入院=任意入院が促進されるようになりました。

Ns田端
日本の病院で任意入院を行うようになったのは、30年ほども先になります。

 

1963年
アメリカではケネディ教書が出され、精神医療の脱施設化が提示されました。

この時のアメリカは、精神障害者への治療が薬物療法がメインになっていました。

Ns田端
日本では、1960年代になってようやく精神障害者の治療がロボトミー手術から、薬物療法へ切り替わり始めています。

ロボトミー手術とは前頭葉白質を切除し、精神疾患の陽性症状を抑えるために行われた治療になります。

 

1978年
イタリアでは、世界初の精神科病院廃絶法であるパザリア法が制定されました。

精神科病院の新設、すでにある精神科病院への入院を禁止し、精神障害者の予防・治療は原則として地域精神保健サービスで行うものとしています。

やむを得ない場合は、総合病院に短期間の入院ができますが、現在もイタリアには精神科病院がありません。

Ns田端
日本では、このパザリア法が制定された9年後に、ようやく任意入院が設立されました。

 

日本の精神科医療の発展の歴史

 

 

前述したように、日本の精神科医療は海外に比べ遅れを取っていますが、それには理由があります。

日本の精神科医療は、海外との外交や事件をきっかけにして発展してきたためです。

ここでは、日本の精神科医療の発展に影響を与えた外交や事件について解説していきます。

 

鎖国から開国へ

日本が鎖国している江戸時代までは、精神障害者は寺などで暖かく見守られながら生活していたようですが、開国すると海外の方々の目を気にした日本人は、精神障害者や生活困窮者は小屋などに閉じ込めて、監禁するようになりました=私宅監禁。

多くの精神障害者は、不衛生で非人道的な環境に置かれていました。

 

相馬事件

明治時代に、相馬藩主であった相馬誠胤(そうま ともたね)がおそらく統合失調症であり、症状が悪化してしまったことで、家族により自宅で監禁されました。

約15年の監禁の末に、相馬誠胤は亡くなりました。

相馬藩主が監禁され、亡くなったことに対して、家族による不当監禁、義母弟による財産横領目的であったと告発された事件が相馬事件になります。

当時の日本の精神医療の診断が未熟であったこともあり、相馬誠胤が統合失調症ではないと主張した医師もいたことから、世間を大きく騒がせた事件になります。

この事件は、海外にまで伝わり、日本のずさんな精神科医療への批判が高まり、精神病者監護法の制定に至りました。

 

戦後の民主主義改革

戦後の民主主義改革で、精神衛生法が制定されました。

この時期に、WHOからイギリスのクラーク氏が日本に派遣され、日本の精神科医療を偵察しました。

日本の精神科医療の質が低く、精神障害者の脱施設化を提案したクラーク勧告が出されました。

しかし、ライシャワー事件が起きてしまい、クラーク勧告は無視されてしまいました。

ライシャワー事件とは、当時の駐日米国大使ライシャワー氏が統合失調症患者に襲われ、刺された事件です。

この事件をきっかけに精神科病院を増やし、精神障害者は病院に収容する日本の精神科医療が加速しました。

 

宇都宮病院事件

宇都宮病院に入院していた患者に対して、看護師が暴行を加えて死亡させた事件です。

この事件をきっかけに精神保健法が制定されました。

 

海外と日本の精神科医療情勢

 

1980年代の海外では脱施設化が図られていましたが、日本では精神科病院への入院が中心であったため、平均在院日数が300日となっています。

日本の平均在院日数が多いことは、10年以上入院している患者さんがいることが影響しています。

現在、精神科病院へ入院した際にも300日という訳ではありません。

 

 

日本と海外の精神科スタッフを比べたものが下図になります。

この図から分かることは、海外に比べて日本の精神科の医師、看護師、臨床心理士、ソーシャルワーカーの数は、圧倒的に少ないです。

特に日本の精神科医療では、臨床心理士が少なくなっています。

 

 

今後の日本の精神科医療

 

ますます入院から地域へ !!

精神科の入院診療報酬の減少、病床数削減による報酬、精神科病院併設の訪問看護の増加、精神障害者自身の情報の手に入りやすさから、入院治療ではなく、地域医療が盛んになっていくと思います。

 

地域で精神をみる柱は訪問看護 !?

精神科の外来診療の点数の低さ、精神科訪問診療の未発展である現状から、精神障害者と医師が密に関わることが難しいと思われます。

そのため、訪問看護が精神障害者の治療の柱になってくると考えます。

また、デイケア等との連携の担い手としても訪問看護への期待があります。

 

精神療法の発展、精神障がいの解明に期待‼

現在の薬物療法以上の効果を示す認知行動療法などの精神療法が輩出されたり、iPS細胞の研究などから病態解明が進むことで新たな薬が創られりすることで、精神障害者の社会復帰が進んでいくとも考えています。

 

Ns田端

海外や日本における精神科医療過去・現在・未来については、以上になります。

海外の精神科医療から遅れを取っている日本は、海外の成功事例を参考にしながら入院期間の短縮、地域医療への移行が積極的に行われるようになってきています。

地域で精神疾患の方が生活する上で、訪問看護が柱になると思います。

みなさんで、精神科訪問看護を盛り上げていきましょう!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

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