「利用者数を増やすべきか、それとも看護師の採用に力を入れるべきか」——限られた時間と資金の中で、この二択に頭を悩ませている訪問看護ステーションの経営者は少なくありません。とくに「そろそろ事業の将来を考えたい」「いざというときの選択肢としてM&Aも視野に入れたい」と思い始めた方にとって、自分の事業所が買い手企業からどう評価されるのかは、最も気になるところではないでしょうか。
結論から言うと、この2つの指標は同列ではありません。本記事では、訪問看護ステーションのM&Aにおいて買い手企業が「利用者数」と「スタッフ数」それぞれから何を読み取っているのか、そしてなぜ多くの案件で片方がより重視されやすいのかを、実務的な視点で解説します。読み終える頃には、自分の事業所の評価を高めるために今日から着手できることも見えてくるはずです。
- 買い手企業が「利用者数」と「スタッフ数」それぞれから読み取っている価値の違い
- なぜ多くの案件で「スタッフ数(特に看護師の在籍・定着状況)」の方が重視されやすいのか
- 利用者数が多くてもスタッフ体制が薄い事業所が抱えるリスク
- 自分の事業所の評価を高めるために、今日から着手できること
目次
訪問看護ステーションの企業価値、まず押さえておきたい前提
中小企業のM&Aでは、貸借対照表上の時価純資産に、営業利益の数年分を上乗せする「年買法(年倍法)」と呼ばれる考え方が広く使われています。何年分を上乗せするかは事業の収益性や継続性への評価によって変わるため、一律の相場があるわけではありません。年買法を含む評価方法の全体像は、訪問看護ステーションの企業価値評価の基本で解説しています。
ただし、この「営業利益」を生み出している土台が何かを一段深く見ていくと、訪問看護ステーションのように「人」への依存度が極めて高い事業では、利用者数とスタッフ数のどちらが安定しているかによって、買い手の評価の付き方が大きく変わってきます。
先に結論を言うと、多くのM&A案件で買い手企業が最終的な意思決定において重視する比重は、「スタッフ数(特に看護師の在籍・定着状況)」に傾く傾向があります。利用者数が軽視されるわけではありませんが、その理由を順番に見ていきましょう。
買い手企業が「利用者数」から読み取っている価値
まず、利用者数が持つ意味を整理しておきましょう。買い手企業は利用者数の数字そのものだけでなく、その裏側にある次のような情報を読み取っています。
収益の安定性を示す実績
利用者数は、月々の介護報酬・診療報酬という収益が実際に発生し続けている証拠です。とくに一定期間にわたって利用者数が大きく落ち込んでいないことは、事業の継続性を裏付ける材料として評価されます。
地域からの信頼・紹介ネットワークの実績
訪問看護は、ケアマネジャーや医療機関からの紹介によって利用者が増えていく構造を持つサービスです。利用者数の推移は、こうした地域内での信頼関係がどれだけ築けているかを映す指標でもあります。買収後も紹介が途切れず続くかどうかは、買い手にとって重要な判断材料になります。
保険種別・要介護度の内訳
単純な利用者数だけでなく、医療保険と介護保険の比率、要介護度・重症度の内訳も見られます。特別管理加算の対象者が多い、精神科訪問看護の実績があるなど、専門性の高い利用者層を抱えている場合は、単純な人数以上の付加価値として評価されることもあります。

買い手企業が「スタッフ数」を最優先する3つの理由
ここからが本題です。同じように「安定した実績」を示す指標でありながら、多くのM&A案件では利用者数以上にスタッフ数、とりわけ看護師の在籍・定着状況が厳しく見られます。理由は大きく3つあります。
理由1:人員基準2.5人以上が事業の「生命線」だから
訪問看護ステーションは、厚生労働省令によって「看護職員(保健師・看護師・准看護師)の勤務延時間数を、常勤の看護職員が勤務すべき時間数で除して得た数が2.5以上」であることが指定基準として義務付けられています。この看護職員のうち1名は常勤でなければならず、管理者も別途、保健師または看護師の資格を持つ常勤者を置く必要があります。
つまり、常勤看護師が1人退職しただけで、事業所によっては人員基準を割り込み、指定の停止・取消しにまで発展しかねないリスクを抱えることになります。利用者数がどれだけ多くても、この基準を割ってしまえば事業自体が継続できません。買い手企業がスタッフ体制を厳しく見るのは、まさにこの「生命線」を確認する作業だからです。
理由2:訪問看護の看護師は、代替が極めて効きにくい人材だから
公益社団法人日本看護協会が公表した2024年度の調査によれば、看護職全体の有効求人倍率が2.51倍(10年ぶりの高水準)となる中、訪問看護ステーションの有効求人倍率は4.54倍と、施設種別の中で突出して高い水準にあることが分かっています。前年度(2023年度)も4.18倍と、初めて4倍を超えるなど、高止まりの傾向が続いています。
この数字が意味するのは、「利用者を増やす」ことは営業努力やケアマネへの働きかけによって一定期間で実現できる余地がある一方、「不足した看護師を補充する」ことは、買収後にすぐ実行できるとは限らないという非対称性です。買い手企業からすれば、看護師が十分に確保できている事業所を獲得すること自体に、大きな価値があります。
「利用者数は伸ばせるが、看護師は簡単には増やせない」という非対称性は、企業価値評価の場面で見落とされがちなポイントです。利用者数の多さだけをアピール材料にしていると、査定の場でスタッフ体制の薄さを指摘され、想定より評価が伸び悩むケースがあります。
理由3:デューデリジェンスで、離職率・定着率まで踏み込んで精査されるから
基本合意の締結後に行われるデューデリジェンス(買収監査)では、財務内容だけでなく、スタッフの勤続年数・離職率・有給消化率・オンコール体制なども確認の対象になります。人材への依存度が高い事業だからこそ、「今在籍している看護師が、買収後も働き続けてくれるか」という点が重点的に見られるのです。

利用者数の多さは、経営者としてもわかりやすい「頑張りの成果」なので、つい重視したくなる気持ちはよく分かります。ただ買い手企業の目線では「この体制が続くかどうか」が一番気になるところなんですね。スタッフが安心して働き続けられる環境かどうかも、立派な経営努力として評価される部分だと思います。

組み合わせパターン別に見る、評価の変わり方
「利用者数」と「スタッフ数」は、どちらか一方だけで評価が決まるわけではありません。実際の案件では、この2つの組み合わせによって評価の傾向が変わってきます。
| パターン | 状態 | 評価の傾向 |
|---|---|---|
| パターンA | 利用者数は多いが、看護師体制が薄い(人員基準ギリギリ) | 収益実績はあるが、継続性へのリスクが指摘され評価が伸び悩みやすい |
| パターンB | 看護師体制に厚みがあるが、利用者数はまだ発展途上 | 「買収後にすぐ利用者を増やせる伸びしろ」として、比較的高く評価されやすい |
| パターンC | 利用者数・看護師体制のどちらも安定している | 最も評価が高くなりやすい、いわば理想形 |
| パターンD | 利用者数・看護師体制のどちらも厳しい状態(赤字を含む) | 評価額は厳しくなりやすいが、それでも売却の可能性がなくなるわけではない |
とくにパターンBのように「利用者数はまだこれから」という状態であっても、看護師体制が安定していれば決して不利になるとは限りません。むしろ「この体制なら安心して任せられる」という評価につながることもあります。逆にパターンAのように利用者数だけを伸ばしてきた事業所は、査定の場で想定外の指摘を受けることがある点は、あらかじめ知っておいて損はありません。評価が高くなりやすい事業所の共通点は、高く売れる訪問看護ステーションの3つの特徴で整理しています。
M&Aで実現する3つの価値|雇用の維持と処遇改善/地域医療の持続/債務・個人保証からの解放とリスタート
スタッフ体制を安定させてきた経営努力は、M&Aの評価の場面だけでなく、実際に事業を引き継ぐ段階でも大きな意味を持ちます。ここで、M&Aによって実現できる3つの価値を整理しておきます。
雇用の維持と処遇改善(大義)
看護師の在籍・定着状況が安定している事業所ほど、M&A後もその体制がそのまま引き継がれやすくなります。買い手企業の資本力によって、給与水準や福利厚生、教育体制が改善されるケースも少なくありません。長年一緒に働いてきたスタッフの雇用を守ることは、経営者にとって大きな安心材料になります。M&A後の給与や退職金の扱いは、M&A後の看護師の給与・雇用・退職金で詳しく解説しています。
地域医療の持続(社会的責任)
利用者との継続的な信頼関係は、事業が引き継がれることで途切れずに済みます。もし経営者が体調を崩す、あるいは資金繰りが行き詰まって突然の廃業に至れば、利用者は行き場を失い、地域の在宅医療体制そのものに穴が空きかねません。早い段階でM&Aという選択肢を検討し、計画的に引き継ぐことは、地域医療を守るための責任ある判断でもあります。
債務・個人保証からの解放とリスタート(実利)
仮に経営が行き詰まって廃業を選んだ場合、スタッフの退職金、事務所賃貸の解約違約金、リース契約の残債一括請求、経営者個人が背負っている個人保証の返済など、数百万円から数千万円規模の自己負担が発生し、最悪の場合は自己破産に至ることもあります。
一方でM&Aであれば、在籍している看護師や地域の利用者(=指定基準を満たす体制そのもの)に対して、たとえ足元の業績が厳しくても、買い手企業が数千万円規模の価値を見出すことがあります。負債を買い手側が引き継ぐか、売却対価で相殺した上で、手元にリスタートのための安心できるキャッシュを残せる可能性がある点は、資金繰りに悩む経営者にとって大きな意味を持ちます。M&Aは、経営責任とオンコールの重圧から解放され、一人の看護師・現場プレイヤーとして夜安心して眠れる生活を取り戻すための、現実的な選択肢のひとつです。
M&Aの仲介手数料はレーマン方式(売却額に応じた料率)で算出されることが一般的ですが、大手・中堅のM&A仲介会社の中には最低手数料を1,000万〜2,000万円程度に設定しているところもあります。売却額が小さい事業所の場合、この最低手数料によって手元に残る金額がほとんどなくなる「手数料負け」が起こり得る点には注意が必要です。中小企業庁の中小M&Aガイドラインでも、仲介者・FAの手数料はレーマン方式と最低手数料を併記し、事前に確認しておくことの重要性が指摘されています。
自分の事業所の評価を高めるために、今日からできること
ここまでの内容を踏まえると、利用者数を追うことだけに偏らず、スタッフ体制の安定を「見える化」しておくことが、企業価値評価の場面で有利に働くことが分かります。具体的には、次のようなステップが有効です。
- 看護師の定着率・勤続年数を数字で示せるようにする採用時期や退職理由を記録に残しておくと、査定やデューデリジェンスの場でスムーズに説明できます。
- 常勤換算のバッファ(余裕)を持たせる常に2.5人ギリギリの体制ではなく、1人が急に退職しても事業を継続できる余裕を持たせておくことは、それ自体が評価対象になります。
- 利用者数だけでなく、保険種別・要介護度の内訳を整理する単純な人数だけでなく、収益構成の中身が見える資料を整えておくと、事業の安定性をより具体的に伝えられます。
- 直近3年分の決算書・税務申告書をいつでも出せる状態にしておく査定を依頼する際に必要となる基本資料です。あわせてスタッフの勤続年数一覧も準備しておくと、話がスムーズに進みます。

特別なことをする必要はなくて、今のスタッフが安心して長く働ける環境を、日々地道に整えていくことが一番の近道だと思います。それが結果的に、事業所そのものの価値を守ることにもつながっていきますね。
訪問看護ステーションの企業価値は主に何で決まりますか?
時価純資産に営業利益の数年分を上乗せする「年買法」など一般的な評価手法をベースにしつつ、看護師の在籍・定着状況、利用者数と保険種別の内訳、指定基準の充足状況などを総合的に見て評価されます。単一の指標だけで決まるものではありません。
利用者数が多ければ高く売れますか?
利用者数の多さは収益の安定性を示す重要な材料ですが、それだけで高い評価がつくとは限りません。スタッフ体制が伴っていない場合は、継続性へのリスクとして評価が伸び悩むことがあります。
常勤看護師が最近辞めてしまいました。今からでも売却は難しいですか?
人員基準を満たしていれば、売却の検討自体は可能です。ただし退職の経緯や、今後の補充計画をどれだけ具体的に説明できるかが重要なポイントになります。無理に一人で抱え込まず、早めに専門家へ相談することをおすすめします。
買い手企業はデューデリジェンスで具体的に何を見ますか?
財務内容に加えて、スタッフの離職率・勤続年数・有給消化率、オンコール体制、指定基準の充足状況、利用者の要介護度・保険種別の内訳などが確認の対象になります。
査定を依頼する前に、どんな資料を準備しておくべきですか?
直近3年分の決算書(損益計算書・貸借対照表)と税務申告書が基本的に必要です。これに加えて、スタッフの勤続年数一覧や利用者数の推移が分かる資料があると、査定がよりスムーズに進みます。
まとめ|「利用者数」だけでなく「スタッフ体制の安定」を評価材料に
訪問看護ステーションのM&Aにおいて、利用者数とスタッフ数はどちらも大切な指標です。ただし人員基準という制度上の制約と、看護師という代替の効きにくい人材の希少性を踏まえると、多くの案件で買い手企業が最終的により重視するのは「スタッフ数、とくに看護師の在籍・定着状況」である傾向があります。

- 買い手企業は利用者数から「収益の安定性」「地域からの信頼」「保険種別の内訳」を読み取る
- スタッフ数(看護師)が重視されやすいのは、人員基準2.5人以上という制度上の制約と、有効求人倍率4.54倍という代替の効きにくさが理由
- 利用者数だけを追うのではなく、看護師の定着率・常勤換算の余裕を「見える化」しておくことが評価を高める近道
自分の事業所が今どのパターンに近いのか気になった方は、無料査定を通じて客観的な評価を確認してみるのも一つの方法です。
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