「うちは小規模で、決算も赤字寄り。M&Aなんて声がかかるはずがない」——そう考えている訪問看護ステーションの経営者は少なくありません。しかし実際には、大手や中堅の事業者から「ぜひお話を聞かせてほしい」と声がかかるのは、必ずしも黒字で規模の大きい事業所ばかりではありません。
近年、買い手企業の多くが重視しているのは決算書の数字よりも「エリアのどこに拠点があるか」です。特定の地域に複数の事業所を集中させて展開する「ドミナント展開」を狙う買い手が増えたことで、これまで注目されにくかった小規模・赤字の事業所にも、買収の可能性が広がっています。この記事では、なぜ今この動きが加速しているのか、そして自社がその対象になり得るかをどう見極めればよいのかを、具体的な買収事例とともに解説します。M&Aの基本的な仕組みそのものについては、別記事「訪問看護ステーションにおけるM&Aとは?基本から分かりやすく解説」で整理していますので、あわせてご覧ください。
- 「ドミナント展開」とは何か、なぜ今の訪問看護業界で重視されているのか
- 2026年に入ってからも相次ぐ、エリア集約を狙った実際の買収事例
- 訪問看護という業態が「エリア集約」と特に相性が良い構造的な理由
- 決算書の数字よりも「立地」が評価される、小規模・赤字事業所の可能性
- ドミナント展開を狙う買い手と向き合うときに知っておきたい注意点
目次
「ドミナント展開」とは?訪問看護業界で急速に広がる買収の考え方
ドミナント展開とは、特定の地域・エリアに事業拠点を集中的に配置していく経営戦略のことです。コンビニエンスストアの出店戦略としてよく知られていますが、近年は訪問看護・訪問介護の分野でも、同じ考え方で買収を進める大手・中堅企業が目立つようになっています。
背景の一つに、訪問看護ステーションそのものの急増があります。一般社団法人全国訪問看護事業協会「令和7年度 訪問看護ステーション数 調査結果」によると、2025年4月1日時点の全国の稼働数は18,754か所で、2010年の5,731か所から15年で約3.3倍に拡大しました。事業所の絶対数が増えたことで、買い手企業にとっては「ゼロから1拠点を新設する」のではなく「すでにあるエリアの拠点をまとめて取り込む」ほうが、スピードと確実性の両面で優位になってきているのです。

「うちの規模で声がかかるわけがない」と決めつけている経営者ほど、実は買い手企業が欲しがっている「エリアのピース」を持っていることがあります。会社の大きさではなく、地図の上でどこに位置しているかが評価される時代になってきていますね。
2026年も相次ぐ「エリアの空白」を埋める買収|具体的な実例で見る
実際の動きを見てみましょう。株式会社ツクイは2026年4月1日付で、宮崎県宮崎市を拠点に訪問看護と居宅介護支援を展開する株式会社aini(訪問看護ステーションあいに)を完全子会社化しました。同社は終末期・小児・メンタル面の支援が必要な利用者への専門性の高い訪問看護や、腹膜透析の利用者に対する近隣事業所との連携強化に取り組んできた事業所です。ツクイはすでに宮崎市内で「ツクイ宮崎訪問看護ステーション」を運営しており、同じエリア内での追加のグループ化という形になります。買収額は非公表ですが、既存拠点のあるエリアに隣接・重複する事業所を積み増していくパターンは、まさにドミナント展開の典型例といえます。
同様の動きは他の大手・中堅企業でも見られます。株式会社シダーは2026年3月、名古屋市内で介護付有料老人ホーム2施設と訪問看護事業を運営する株式会社ダブルエイチオーを子会社化すると発表しました。また2025年5月には、在宅介護サービスを全国展開するセントケア・ホールディングスが、大阪府池田市の介護事業者・愛らいふサービスを完全子会社化しています。同社の買収時点の業績は営業利益が赤字(約1,000万円の営業損失)でしたが、セントケアにとってそれまで営業拠点のなかった大阪府北部エリアに新たな足がかりを得られるという「立地の価値」が、決算内容以上に重視されたとみられます。

いずれの事例も、買い手企業のプレスリリースで「ドミナント展開」という言葉が明言されているわけではありません。しかし「すでに拠点があるエリアへの追加取得」「これまで拠点のなかったエリアへの新規進出」という共通点から、エリア単位で拠点網を組み立てていく意図がうかがえます。
なぜ訪問看護は「エリア集約」と特に相性がいいのか|3つの構造的な理由
ドミナント展開はどの業界でも見られる戦略ですが、訪問看護は特にその効果が出やすい業態だと考えられます。理由は大きく3つあります。
1つ目はオンコール当番の分担がしやすくなることです。公益社団法人日本看護協会「2024年度 診療報酬・介護報酬改定等に向けた訪問看護実態調査」(全国訪問看護事業所6,000か所対象、有効回答1,879件)によると、夜間・休日対応について「精神的・身体的負担が大きい」と回答した事業所は83.5%、「対応できる職員が限られ負担が偏る」は69.6%にのぼります。さらに「他事業所とオンコール対応をシェアできない」という課題を挙げた事業所も15.1%存在します。単独の小規模事業所では、この分担範囲は自事業所の職員だけに限られますが、近隣に系列の事業所があれば、当番の融通や緊急時のバックアップ体制を組みやすくなります。
2つ目は訪問先までの移動時間が短くなり、1人あたりの訪問件数を増やしやすいことです。訪問看護は利用者の自宅を1件ずつ回る業態であるため、拠点と利用者宅の距離、拠点同士の距離が生産性に直結します。近接エリアに複数拠点を持てば、利用者の担当替えや応援要員の派遣がしやすくなり、1人の看護師が抱える移動負担を分散できます。
3つ目は地域の医療機関・ケアマネジャーとの連携が密になることです。同一エリアに複数の拠点があれば、地域の病院・診療所・居宅介護支援事業所との接点も増え、紹介の受け口が広がります。買い手企業からすれば、既存拠点の周辺で新たな利用者紹介のルートを開拓するよりも、その地域にすでに根を張っている事業所を取り込むほうが、立ち上がりが早いと判断しやすいのです。

決算書より「立地」が評価される|小規模・赤字でも声がかかる理由
ドミナント展開を狙う買い手にとって、最優先の判断材料は「その事業所が、自社の拠点網のどこに位置するか」です。もちろん収支の状況や債務の有無は査定・交渉の過程で重要な要素になりますが、「エリアの空白を埋められるかどうか」という立地の価値は、決算書の黒字・赤字だけでは測れません。前述のセントケア・愛らいふサービスの事例のように、営業赤字の事業所であっても、買い手企業がそれまで展開していなかったエリアに位置していたことが、買収の決め手になったとみられるケースは実際に存在します。
「赤字だから、うちには声すらかからないだろう」と自己判断してしまうのは早計です。買い手が本当に見ているのは、そこで働く看護師の在籍状況、地域で築いてきた利用者との信頼関係、そして拠点の立地そのものです。決算書の数字だけで可能性を閉ざす前に、まずは自社の立地・利用者基盤を客観的に棚卸ししてみることをおすすめします。
| 買い手が重視する視点 | ドミナント展開型の買収での位置づけ |
|---|---|
| 立地(既存拠点との距離) | 最優先。エリアの空白を埋められるか、隣接エリアで拠点密度を高められるかが判断の起点になる |
| 在籍する看護師・人材基盤 | 優先度が高い。慢性的な人材不足のなか、すでに看護師が確保できている点自体に価値がある |
| 利用者基盤・地域との信頼関係 | 優先度が高い。紹介元の医療機関・ケアマネジャーとの関係性も含めて評価される |
| 収支・財務状況 | 査定・交渉の材料にはなるが、立地や人材ほど絶対的な条件にはならないことがある |
M&Aで得られる3つの価値|雇用の維持と処遇改善、地域医療の持続、経営者自身のリスタート
ドミナント展開を狙う買い手と組むことは、単に「エリアを埋める駒になる」ということではありません。経営者自身にとっても、具体的な価値につながります。
1つ目は雇用の維持と処遇改善です。経営基盤の強い企業の傘下に入ることで、スタッフの雇用を守りながら、給与水準や福利厚生の改善が期待できます。近隣の系列拠点と連携できるようになれば、オンコール当番の負担が分散され、職員の定着にもつながりやすくなります。2つ目は地域医療の持続です。経営者が体力の限界を迎えて事業所が突然廃業してしまえば、日々サービスを受けている利用者やその家族の生活が立ち行かなくなります。エリアに根を張り続けたい買い手に引き継ぐことは、地域に対する責任ある選択でもあります。そして3つ目が債務・個人保証からの解放とリスタートです。廃業を選べば、退職金の支払い、賃貸物件の解約違約金、リース残債の一括請求、個人保証の返済など、数百万円から数千万円規模の自己負担が発生し、最悪の場合は自己破産に至るケースもあります。M&Aによって負債を引き継いでもらう、あるいは売却対価で相殺できれば、手元にリスタートのためのキャッシュを残すことができます。

オンコールも経営責任も一人で抱え続けていると、体力も判断力もすり減っていきます。系列拠点で当番をシェアできる環境に移ることで、経営者ではなく一人の看護師・現場のプレイヤーとして、夜安心して眠れる生活を取り戻せることも、立派な選択肢のひとつです。
ドミナント展開を狙う買い手と話すときに知っておきたい注意点
エリアの価値を評価してくれる買い手が増えているとはいえ、声がかかった相手であれば誰でもよいわけではありません。エリアを埋めることだけが目的で、買収後の人員体制や処遇について具体的な方針を持たない買い手に当たってしまうと、統合後にスタッフの離職が相次いだり、当初期待していたシナジー(オンコール分担や紹介ルートの共有など)が実現しなかったりするリスクもあります。
また、事業譲渡の手法を選ぶ場合は、訪問看護ステーションの指定申請の切り替えにともなうリスクにも注意が必要です。都道府県・厚生局への「同日廃止・同日新規指定」の調整が1日でもずれると、数週間から1ヶ月にわたり介護報酬・診療報酬を一切請求できない売上ゼロの空白期間が発生し、資金繰りの厳しい事業所では給与未払いに直結しかねません。買い手側の「エリアを取りたい」という意欲だけに引っ張られず、統合後の運営体制や、行政手続きのスケジュール管理まで含めて確認できる専門家に同席してもらうことが、後悔しない交渉の前提になります。
M&Aの基本的な仕組み(株式譲渡・事業譲渡の違い、進め方の流れ、費用の考え方など)を体系的に知りたい方は、まずこちらの記事をご覧ください。
訪問看護ステーションにおけるM&Aとは?基本から分かりやすく解説よくある質問
赤字の小規模事業所でも「ドミナント展開」の対象になりますか?
可能性は十分にあります。ドミナント展開を狙う買い手が最優先で見ているのは決算内容そのものよりも「エリアの空白を埋められるか」という立地の価値です。実際に、営業赤字だった事業所が、買い手企業にとって未展開エリアに位置していたことを理由に買収された事例も確認できます。決算書だけで可能性を判断せず、自社の立地や人材基盤を棚卸ししてみることをおすすめします。
なぜ買い手企業は同じエリアに複数の事業所を持ちたがるのですか?
オンコール当番の分担、訪問移動時間の短縮による生産性向上、地域の医療機関・ケアマネジャーとの連携密度の向上といった効果が期待できるためです。訪問看護は利用者の自宅を1件ずつ回る業態であるため、拠点同士の距離が近いほど、これらの効果が出やすいという構造的な特徴があります。
「エリアの空白を埋める」買収の具体例はありますか?
2026年4月には、株式会社ツクイが宮崎市の訪問看護・居宅介護支援事業者である株式会社ainiを完全子会社化しました。ツクイはすでに同市内で訪問看護ステーションを運営しており、同一エリアでの追加のグループ化にあたります。また2025年5月には、セントケア・ホールディングスがそれまで営業拠点のなかった大阪府北部エリアの介護事業者を子会社化するなど、エリアの空白を埋める買収は複数の企業で確認できます。
買収後、オンコール当番の負担はどう変わりますか?
近隣に系列拠点があれば、当番の融通や緊急時のバックアップ体制を組みやすくなるため、負担が分散される可能性があります。ただし実際の体制は買い手企業の方針次第で変わるため、交渉の段階で統合後の人員配置やオンコール運用について具体的に確認しておくことが重要です。
ドミナント展開を狙う買い手から声がかかったら、まず何をすればよいですか?
その場ですぐに条件面の交渉に応じるのではなく、まずは自社の立地・利用者基盤・在籍職員の状況を客観的に整理し、訪問看護の実務や指定制度を理解した専門家に相談することをおすすめします。エリアを埋めることだけが目的の買い手なのか、買収後の運営体制まで具体的な方針を持つ買い手なのかを見極めることが、後悔しない選択につながります。

まとめ|「エリアの立地」が、決算書とは別の価値として評価される時代に
訪問看護業界でドミナント展開を狙う買い手が増えているのは、事業所数の急増にともなうエリア争奪が激しくなっていること、そして訪問看護という業態そのものが、拠点を集約するほどオンコール分担・移動効率・地域連携の面でメリットを得やすい構造にあることが背景にあります。
- 訪問看護ステーション数は15年で約3.3倍に増加し、エリア単位での拠点確保を狙う買収が加速している
- 2026年に入ってからも、既存エリアへの追加取得・未展開エリアへの新規進出という買収事例が相次いでいる
- オンコール分担・移動時間の短縮・地域連携の密度という3つの構造的な理由で、訪問看護は特にエリア集約と相性がいい
- 決算書の黒字・赤字だけでなく「立地の価値」が評価されるため、小規模・赤字の事業所にも可能性がある
「うちは声がかかるはずがない」と決めつける前に、自社がどのようなエリア的な価値を持っているのかを、専門家と一緒に一度整理してみることが、経営者自身とスタッフ、そして利用者を守ることにつながります。
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