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姿勢の安定における噛み合わせの大切さ
健康的でバランスのよい噛み合わせによって、姿勢が安定して力を発揮できることが知られています。例えば、スポーツの重量挙げのように瞬時に強い力を発揮する場合、グッと奥歯を噛みしめることが重要です。
ところが、歯周病でグラグラする歯や安定がよくない義歯(入れ歯)では、しっかり噛めないために力を発揮できないだけでなく、正しい姿勢も維持できません。
2009年に明海大学歯学部の宮澤慶氏が報告した研究によると、埼玉県に在住している局部床義歯装着者87人(平均年齢66.0歳)を対象に、噛み合わせと身体の動揺との関連性について調査した結果、奥歯で噛み合わせがあれば身体の動揺する距離は短くなり、前歯だけで噛むような噛み合わせでは動揺が大きくなる傾向を示しました。
さらに、噛み合わせの力が強い人ほど、噛み合う接触面積が広い人ほど、身体の動揺度が小さくなりました。一方、身体の動揺が大きく不安定な人が義歯を装着すると動揺が小さくなり、身体が安定しました。
つまり、噛み合わせがバランスよくて身体の重心が維持されれば、身体の動揺が少なくなって安定することが示唆されたのです。
また、リハビリテーションでは姿勢の評価も重要項目であり、噛み合わせが安定するとリハビリテーションの効果が促進することも認められています。
転倒を防止して介護を減らそう。
毎年、敬老の日の前後に総務省統計局から公表される日本の高齢者人口推計ですが、2023年9月現在の65歳以上の高齢者人口は約3623万人となって前年(2022年)よりは減少しましたが、総人口に占める高齢者人口率は29.1%で過去最高でした。
これは世界に200近くある国・地域の中で最高水準の数字で、高齢者の増加に伴って介護が必要になる人も増える傾向にあります。
厚生労働省の「国民生活基礎調査(2022年)」によれば、65歳以上の高齢者において介護が必要になった原因として「骨折・転倒」が「認知症」、「脳血管疾患」に次いで、3番目に多い原因となっており(図1)、事故によるものでは最大の要因です。
転倒を防げば、介護を受けたり寝たきりになったりするのを予防できることを示唆しますが、たとえ自分の歯の数が少なくても義歯の噛み合わせが安定していると、転倒しにくくなることが研究報告されています。
2005年に広島市総合リハビリテーションセンターの吉田光由氏の研究グループが行った研究報告によると、自力歩行できる認知症高齢者146人を対象に①奥歯がほとんど噛めない、②義歯を使って奥歯で噛める、③奥歯が十分残っている、以上の3グループに分けて転倒を起こす頻度について調査しました。
その結果、奥歯が残るグループほど転倒する頻度は減り、さらに義歯でも奥歯で噛むことができると転倒頻度も減少することが明らかになりました(図2)。
つまり、義歯であっても奥歯でグッとしっかり噛んで姿勢を安定させると足の踏ん張りが効くようになり、転倒防止につながったと推測されるのです。
訪問看護の際に気を付けたい義歯の保管・管理
以上より、姿勢を安定させるためには奥歯でしっかりと噛むことが重要で、歯が少ない高齢者でも義歯を活用すればいいことが分かります。
しかし、義歯を持っていない、あるいは所持していても使用していない、という高齢者も少なくないのが実情です。
できれば義歯を作製する、または修理するなどして毎日活用できる義歯を持つことが大切ですが、訪問看護する立場から義歯扱いの注意点を挙げましょう。
1.義歯の適切な保管法
まず、義歯の正しい保管方法を伝えるようにしましょう。
外した後は専用の義歯ケースに片付けるのが基本ですが、訪問看護する高齢者の場合は、ご自身でその基本ができないことも少なくありません。小さい義歯をティッシュペーパーで包んで近くの台の上に放置すると、ゴミと間違って捨てられてしまうケースがあります。中には金属床義歯という数十万円もする義歯もありますので、小さくない義歯でも周りのご家族や介護者は責任を持って管理する必要があります。
複数の義歯を所持している場合は、使える義歯かどうかを歯科医師が判断する必要があります。余分な義歯があれば保管や管理が煩雑になるため、紛失するリスクも上がります。破損がひどくて修理すらできない義歯は、迷わず処分して下さい。
義歯は眼鏡や補聴器と異なり、顔を見ただけで装着しているか否かを判断できないことが多いため、義歯の所在はいつも意識しましょう。
2.危険な義歯は使用しない。
義歯には、誤飲リスクの問題があるのをご存じでしょうか。
人工歯が1本のみの小さい義歯は誤飲のリスクが高く、仮に飲み込んでしまっても咳の反射が衰えている高齢者ではうまく排出することができず、誰にも気付かれないまま咽頭を経て食道から胃へ進んでいく可能性があります。もし気管に入れば、肺炎リスクも上がります。
誤飲に気付いた、あるいは疑われる場合は、まず胸~腹部のレントゲン写真で義歯の位置を確認し(金属製の構造が濃い白色で写ります)、速やかに内視鏡などで取り出す必要がありますが、発見が遅れて消化管の深部に到達していれば、開腹手術を余儀なくされることがあります。
ですから、訪問看護の際に、自分で取り外しできず自己管理できない小さな義歯を見つけた場合、安全のために使用は控えてもらうか、もしくは誤飲しないような構造に歯科医師に修理を依頼するようにして下さい。
以上のように、訪問看護の現場でうまく義歯を使いながら、リハビリなどに活用しましょう。
【参考資料】
- 宮澤慶他:局部床義歯装着者の咬合状態と身体動揺の関連について.スポーツ歯誌,13:16-22,2009.
厚生労働省:令和4年国民生活基礎調査.
- Yoshida M et al: Functional dental occlusion may prevent falls in elderly individuals with dementia. J Am Griatr Soc, 53:1631, 2005.
みなさんこんにちは。
歯科医師の島谷浩幸と申します。
著書『歯磨き健康法』『頼れる歯医者さんの長生き歯磨き』などがあります。
これから連載として、訪問看護と歯科との関わりについて様々なトピックスを取り上げていきます。
第4回は『噛み合わせを安定させて転倒予防(寝たきり防止)』というテーマでお話ししたいと思います。