坪田康佑
一般社団法人訪問看護支援協会
訪問看護ステーション事業承継検討委員会/一般社団法人訪問看護支援協会
国家資格:看護師・保健師・国会議員政策担当秘書など
その他資格:MBA、M&Aアドバイザー、メディカルコーチングなど
2005年慶應義塾大学看護医療学部卒、2010年米国NY州Canisius大学MBA卒、国際医療福祉大学博士課程在籍。株式会社コーチエィにてコーチングに従事。ETIC・NEC社会起業塾を経て、無医地区に診療所や訪問看護ステーションを開業。体調を崩し、2019年全事業売却。ユニーク看護師図鑑を運営。
【執筆者著書紹介】
目次
「最後のハンコ」:別れと新たな始まり
2019年2月27日、私は重い心で最後のハンコを押しました。長年経営した訪問看護ステーションとの別れの瞬間でした。
ハンコを押す手が震えるほどの重さを感じました。これまで何度もハンコを押してきましたが、この日は特別でした。混じり合う感情が心を満たしました。喜び、期待、そして寂しさや悲しみが一気に押し寄せました。
ハンコを押すたび、訪問看護ステーションでの思い出が蘇りました。最初のお看取り、迷いながら訪れた家、採用面接、スタッフとの面談。そして、結婚式での挨拶など、ステーション設立からのすべての瞬間が思い出としてよみがえりました。そして、それらは最後のハンコと共に去っていきました。
このハンコは、別れの挨拶だったのです。私が創業し、共に成長した訪問看護ステーションが、次の誰かのものになるための儀式でした。
その後のことは、詳しく覚えていません。事業承継先の社長との帰り道を断り、一人で帰ったこと、道に迷ったこと。そして、涙を流していたことだけははっきりと覚えています。別れた相手との思い出が、まるで地雷のようにあちこちに埋められており、それらを踏むたびに涙があふれ出ました。
別れは突然やってきた。
2016年12月のある朝、朝礼が終わった後に涙が止まらなくなり、自動車に逃げ込みました。スタッフの一言が心に刺さり、その日から特に眠れなくなっていきました。
ご飯も食べられなくなっていきましたが、その時の自分は、「ダイエットのチャンス!」とか「眠らず食べずに働ける省エネの身体に進化したんだ」と喜んで、より一層仕事を入れていっていきました。
しかし、それは身体からのメッセージでした。ある朝、出勤中に突然電車に乗ることができなくなりました。足が動かなく、無理に動かそうとすると、その場で、吐いてしまいました。吐いた後は、身体が震えて、うずくまるしかなくなりました。ここでも、うつ病の疑いは全くしていなく、悪質なインフルエンザにかかってしまったか?と考えていました。
さすがにおかしいので、職場に隠れて看護師仲間に相談すると、精神科をすすめられます。
最初、何を言っているのか理解できませんでしたが、無理にすすめられるので、イヤイヤ精神科を受診すると、「中等症のうつ病」と診断されました。
重度じゃないと安心したのも束の間で、緊急入院だと言われます。特に12月なので、年末年始のオンコールシフトを考えると、入院を躊躇どころか、拒否をしましたが、身体が動かないので、結局は入院せざるを得ませんでした。
年始から転職してきてくれる友人ナースが、管理者として持っていた携帯電話も全てを没収しました。その時は恨みましたが、今から思うとあれが私の命を救ってくれました。
季節が変わって2017年4月末に退院します。スタッフは優秀で、私がいない間もスタッフは増え成長していました。
一方、私は、開業してから増え続けていた体重約90キログラムが、65キログラムまで減少していました。これで身体もリセット、また地域に戻れると意気揚々としていましたが、入院だけでは、根治療法されていなく、訪問看護ステーションに向かうことが出来ないままでした。
仕方がなく、遠隔で事務仕事をし続けます。
事業承継の決意
季節が再び変わり、暑くなって寒くなってきた頃に、自分が職場に復帰できないことを認める。
いや、認めていませんでした。現状だけを責任者としてとらえました。
私が経営していた訪問看護ステーションは、当時、4つの町(人口約6万人)で唯一のステーションでした。自分が倒れたからといって、患者さんやご家族・スタッフだけではなく、近隣の主治医にケアマネージャーを筆頭とする地域の状況的に、廃業する選択肢を選べませんでした。
一方、今まで、スタッフが管理者の役割を引き受けてくれていましたが、経営者を任せられる人はいませんでした。
そこで、私は事業承継と向き合うことになりました。
経営者として成長させることは考えていたのですが、自分が引退することは全く考えていなかったので、入学したばかりの看護学生ばりに何も分かりませんでした。
事業承継やM&Aに関することを一から勉強し、2017年11月、私は株式譲渡の道を選びました。患者さんやスタッフに追加の負担をかけることが耐えがたく、最も負担の少ない方法を選んだのです。患者さんやスタッフ、関係者への思いやりが、私の決断を導きました。
そして、2019年2月、私は最後のハンコを押しました。訪問看護ステーションとの別れ、そして新たな始まりの瞬間でした。
事業承継支援への道
私の事業承継にまつわる苦労は、きっと私だけのものではないと思いました。この経験を世の中の役に立てられないかと考え、うつ病の治療に専念しました。六年の時間を経て、ついに通院や投薬を必要としない状態まで回復しました。
その後、M&Aアドバイザー協会で認定M&Aアドバイザーの資格を取得しました。そして、同じ道を歩んだ訪問看護経営者や弁護士、公認会計士の方々と共に、訪問看護事業承継ガイドラインを作成しました。現在は、訪問看護ステーションの事業承継支援家として、相談を受けるだけでなく、執筆や講演も行っています。
事業承継は介護と似ています。それがいつか訪れるものだと思っていても、脳卒中や転倒骨折のように突然やってきて、即座の対応が必要になることがあります。介護に関する知識がある家族とない家族では、対応力に大きな違いが生まれます。これは訪問看護の経験からも明らかです。同様に、事業承継についても、訪問看護の管理者や経営者が事前に知識を持っていることが非常に重要だと私は考えています。
あなたが夢を見て、情熱を注いで築き上げたものを、引退とともに失わせてはいけません。あなたの作り上げたものは、ただの事業ではなく、地域共同体の貴重な一部です。この連載を通じて、訪問看護ステーションの事業承継について、皆さんと一緒に深く考え、学び合うことができれば幸いです。
皆さんの質問やコメント、ご意見やご相談は大歓迎です。ぜひお寄せください。
そして、もしお許し頂けるならば、皆さんの声を、この連載の貴重な一部として取り入れ、日本の訪問看護の未来を形作るために参考とさせていただきます。この連載を一緒に創り上げていくことで、訪問看護業界がより良い方向へと進むことを願っています。これからの連載を、一緒に楽しみにしていてください。どうぞよろしくお願いいたします。
\事業承継に関するお問い合わせはこちら/
1. 訪問看護ステーション事業承継検討委員会:訪問看護ステーション事業承継ガイドライン.Kindle、4,2022
事業承継の連載
はじめまして。
看護師の坪田康佑です。
これから13回にわたり、『訪問看護の事業承継連載』を執筆させていただきます
よろしくお願いいたします。