訪問看護の事業承継連載⑪:『失敗事例』

 

坪田

はじめまして。

看護師の坪田康佑です。

これから13回にわたり、『訪問看護の事業承継連載』を執筆させていただきます

よろしくお願いいたします。

 

前回の連載内容はこちら

 

連載者プロフィール

坪田康佑

一般社団法人訪問看護支援協会

訪問看護ステーション事業承継検討委員会/一般社団法人訪問看護支援協会
国家資格:看護師・保健師・国会議員政策担当秘書など
その他資格:MBA、M&Aアドバイザー、メディカルコーチングなど
2005年慶應義塾大学看護医療学部卒、2010年米国NY州Canisius大学MBA卒、国際医療福祉大学博士課程在籍。株式会社コーチエィにてコーチングに従事。ETIC・NEC社会起業塾を経て、無医地区に診療所や訪問看護ステーションを開業。体調を崩し、2019年全事業売却。ユニーク看護師図鑑を運営。

 

【執筆者著書紹介】

 

年間約1000件休廃業する訪問看護業界において、休廃業は珍しくありません。

そのために見落とされてしまうことがあるのですが、「事業承継」が原因で廃業してしまう訪問看護ステーションもあります。訪問看護ステーションの事業承継というと成功事例に目を向けがちです。

しかし、失敗から学べることも多くあります。今回取り上げるのは、地域に根差したケアを提供してきた訪問看護ステーションの事業承継における倒産してしまった深刻な失敗事例です。

この事例の結果に至った背景とそこから学べる教訓に焦点を当てます。

 

事例概要:事業承継後の突然の失踪

私が事業承継支援を行った第一号のケースは、表面上は成功に見えました。

契約は無事終わり、事業承継も滞りなく進められました。

しかし、実際には締結後1ヶ月で重大な問題が発生しました。

承継を受けた後継者が、突如として出社しなくなりました。

更に、承継元への支払いも約束の3分の2しか行われず、結果として大きな損失をもたらしました。

 

登場人物

Aさん(譲渡側)
– 地域ケア重視の訪問看護ステーション経営者
– 健康上の理由で事業承継を決意
– 金銭より理念の継承を重視

Aさんのステーション
– リハビリや自費外出支援など、地域ニーズに応える先進的サービスを提供
– 高齢者の安心な生活環境構築に貢献

Bさん(承継側)
– 医療的ケア児支援に情熱を持つ看護師経営者
– 夢はあるが、経営実務能力に課題

筆者
– AさんとBさんの共通の知人
– 両者の橋渡し役として事業承継をサポート

 

事業承継プロセス

この事業承継は、私にとって単なる仕事以上の意味を持つものでした。AさんとBさんは直接の繋がりはありませんでしたが、二人とも長年の看護師仲間であり、私が訪問看護ステーションを経営していた頃に相談に乗ってもらった大切な存在でした。

だからこそ、私は心を込めてこの事業承継に取り組みました。Aさんの体調悪化の知らせを聞いた夜には、悲しみのあまり涙を流しました。(ちなみに、Aさんは現在も元気に過ごされています。)

Bさんが医療的ケア児のために独立した際には、心からお祝いしました。

私は無償でこの事業承継を支援し、AさんとBさんが心から信頼し合えるようになるまで、何度も二人を引き合わせました。特に、お金に関するデリケートな話題については、事前に整理して話し合いがスムーズに進むよう尽力しました。その結果、上場企業からのオファーもあったAさんは、Bさんに事業を託すことを決断しました。

Bさんへの支援は、事業承継契約が始まる前から始まっていました。Bさんがスムーズに事業を運営できるよう、Aさんのスタッフとの顔合わせの場を設けました。また、資金繰りに困っていたBさんのために、私の会社が取引している銀行の支店長を紹介し、事業計画書の作成から融資の申請までサポートしました。その結果、資金調達は驚くほど早く進み、Bさんは必要な資金を確保することができました。さらに、私はAさんと交渉し、事業承継金の支払いを分割にすることにも成功しました。これらの努力はすべて、二人の新たな門出を応援するためのものでした。

この事業承継は、単なるビジネスの物語ではありません。深い人間関係、信頼、そして共に働いた仲間たちの未来を大切にする心から生まれた物語です。私たちの絆の証としての事業承継だったのです。

 

失敗への序章

Bさんは、Aさんから事業を引き継ぐ際、一種の救世主としての自負を胸に新たなスタートを切りました。彼の熱意は計り知れないものがありましたが、その熱意が時に前面に出すぎてしまい、スタッフとの間で意見の不一致が続出しました。例えば、事業承継による不安を感じたスタッフがBさんに対して立替清算や昇給に関する質問をした際、Bさんからは明確な回答が得られませんでした。給与の支払い経験がないBさんは、昇給についてどう考えれば良いのか戸惑っていたようです。不安な表情で「今度答えるから」といった曖昧な返答をしてしまい、スタッフを大切にしているという印象を与えられないコミュニケーションを取ってしまいました。また、患者に関する相談を受けた際も、「それは、今まで見ていたあなたの方が詳しいでしょ」と返すなど、適切な傾聴やサポートを欠いていました。

このような状況は、スタッフにとっては無責任な経営者が突然現れたという感じになり、Bさんにとっては自分を受け入れてもらえないと感じる原因となり、双方で雑なコミュニケーションを取るようになりました。

さらに、細かなところだけではなく、組織としてどのようなビジョンやルール、カルチャーを築きたいのかを明確にすることなく、スタッフからの質問に対してもその都度初めて考えるような対応を取りました。このようなアプローチは、未来に先送りにする形でスタッフとの真摯な向き合い方を欠いていました。組織運営においても、経営方針を策定し、スタッフの意見を聞きながら共に方向性を模索する必要があったのに、これらが後手に回りました。

経営者としてのしつこさや不屈の精神は、スタッフや患者への深い理解と共感、そして組織全体としてのビジョン共有に基づいてこそ、真の力を発揮します。Bさんのケースでは、この重要な要素が欠けていたために、事業承継は予期せぬ困難に直面することとなりました。

 

資金繰りの誤算

Bさんは、日本政策金融公庫と信金信組から融資を受ける計画を立てていました。金利をできるだけ低く抑えたいという私の提案により、低金利の日本政策金融公庫と信金信組から半分ずつ借り入れるように設計しました。Bさんは理解したと返答していましたが、後から分かったことですが言葉と行動に齟齬がありました。

私が紹介した支店長以外のことは共有してきませんでした。特に、日本政策金融公庫との面談を誰にも共有することなく延期するなどしていました。共同融資という形をとっていましたが、信金信組からの迅速な融資が決定したことで、彼はいつでも同じスピードで資金を調達できると勘違いしてしまったようです。しかし、関係性が出来ている信金信組と比べて、より審査期間が長い日本政策金融公庫の手続きが遅れたため、資金の着金が大幅に遅れる事態に陥りました。その上、Aさんに対しては、折角2分割支払いにして頂いていたのに、早期に融資を受けられたことを理由に、最初の融資で受けた全額(事業承継金額の2/3)を支払ってしまいました。この結果、手元の現金が不足し、スタッフの立替清算や日常運営に必要な資金が不足する状況になりました。このようにして、事業承継直後からスタッフへの支払いができない状態となり、Bさんとスタッフとの関係は急速に悪化してしまいました。

 

コミュニケーションの断絶

Bさんとスタッフの間でコミュニケーションが上手く取れず、スタッフからの厳しい声が相次ぎました。Bさんは自身の立場を理解してもらえないと感じ、スタッフとの関係はますます悪化しました。そんな状況で、なんとBさんは、経営者としての責任と適切な対応を誤り、結果的に出社しなくなるという極端な行動に至りました。

この状況に困惑したスタッフがBさんのSNSを調査し、Bさんが事業承継に私が関与していることを投稿していたことから、突然SNS経由で相談してきました。スタッフから無断欠勤が続いているとの連絡を受けた後、Bさんの捜索を最優先に行いました。全ての会議をオンラインに変更し、Bさんの自宅を訪問し、近隣で会議に参加しながら捜索を行いました。Aさんには状況を共有しましたが、事業承継後のステーションへの指示命令は、Bさんとの契約上難しく、訴訟リスクも高いため、控えて頂きました。そのため、私が、万が一の状況に備え、Bさんが仕事を放棄した場合でも患者さんたちが安全に過ごせるよう、Aさんから近隣の訪問看護ステーションを紹介してもらい、引き継ぎ可能な状況を事前に準備しておきました。

 

結果と影響

無断欠勤し、仕事を放棄したBさんに対して、スタッフからの信頼はすでに失われていました。この出来事は日本政策金融公庫からの融資が着金する数日前に起こったため、追加の融資も停止されました。このような状況下で、緊急対応として私は残ったスタッフと協力し、患者さんを近隣のステーションに引き継ぐ手配を行いました。これは、患者さんのケアの継続を最優先とする決定でした。

数か月後、Bさんから突然連絡がありました。地方銀行から最初に借り入れたお金の返済について相談がありました。私との連絡を断たないこと、およびお金を返済することを条件に、私は銀行への支払いのために約100万円を貸しましたが、お金を貸した後に再び音信不通となりました。無償で動いただけでなく、貸し付けたお金の返済もされず、私は多大な負担を背負うこととなりました。

この事態は、私だけでなく、Aさん、私が紹介した金融機関の支店長、スタッフ、患者さん、そして地域社会に対しても多大な迷惑をかける結果となりました。私の意図はBさんの新たなスタートを全力でサポートすることでしたが、結果的には関わった全ての人々に負担を強いることになってしまったのです。

 

教訓と反省

この事例から学べる教訓は多岐にわたります。事業承継を行う際には、後継者の選定、資金繰りの計画立て、スタッフとのコミュニケーション、そして緊急時に備えた対応計画など、多面的な準備が必須です。さらに、事業承継後も引き継ぎ先の経営状況に目を配り、必要に応じてサポートを行う体制の構築が必要です。

この体験を通じて、私は事業承継先に対して経営能力を重視するようになりました。事業承継先の将来が、後継者だけでなく私自身によっても明確に描かれる場合にのみ、支援を行うように心がけています。そして、このような事業承継の失敗を避けるために、具体的な事業承継ガイドラインの作成を支援するようになりました。

この失敗事例を共有することで、訪問看護ステーションの事業承継を検討している多くの方々に対して、準備と対応の重要性を伝えたいと考えています。事業承継は、単にバトンを渡すだけではなく、その後の成功を目指すプロセスであるべきです。

 

引用・参考文献

 

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ABOUT US
坪田 康佑
一般社団法人訪問看護支援協会/訪問看護ステーション事業承継検討委員会/一般社団法人訪問看護支援協会 国家資格:看護師・保健師・国会議員政策担当秘書など その他資格:MBA、M&Aアドバイザー、メディカルコーチングなど 2005年慶應義塾大学看護医療学部卒、2010年米国NY州Canisius大学MBA卒、国際医療福祉大学博士課程在籍。株式会社コーチエィにてコーチングに従事。ETIC・NEC社会起業塾を経て、無医地区に診療所や訪問看護ステーションを開業。体調を崩し、2019年全事業売却。ユニーク看護師図鑑を運営。