「売却したら終わり」ではない?M&A後も経営者が顧問として残る選択肢

「M&Aで会社を託したら、自分はもうこの事業所に関われなくなる」——訪問看護ステーションの経営者からM&Aの相談を受けるとき、この不安を口にされる方は少なくありません。長年一緒に走ってきたスタッフに、育ててきた利用者に、ある日突然「代表が変わりました」とだけ伝えて去っていく。そんな去り方しかできないなら、売却には踏み切れない——そう考えるのは自然なことです。

しかし実際のM&Aは、経営権や株式を譲渡することと、経営者本人がその場から完全にいなくなることは、必ずしもイコールではありません。顧問・相談役としての関与、引継ぎ(PMI)期間の伴走、雇用契約を結び直しての現場復帰など、経営責任だけを手放しながら関わり続ける設計は現実にあります。この記事では、その具体的な形と、契約で決めておくべき注意点を解説します。

この記事でわかること
  • M&A後も経営者が関わり続けられる3つの形(顧問・相談役/PMI伴走/雇用契約での現場復帰)
  • 「顧問として残る」ことが、スタッフ・利用者・経営者自身の生活の何を守るのか
  • 引継ぎ(PMI)期間の一般的な目安と、その間に経営者が担う実務
  • 株式譲渡・事業譲渡で「残り方」がどう変わるか
  • 顧問契約・雇用契約を結ぶ際に、必ず取り決めておくべきポイント

「売却したら終わり」ではない――M&A後に経営者が関わり続ける3つの形

M&Aとは、会社の株式や事業を第三者に譲渡することで、経営権を引き継ぐ手法です。ここで譲渡されるのは「経営権」であって、経営者本人の存在そのものではありません。実務上、M&A後も旧経営者が事業に関わり続けるケースは珍しくなく、その形は大きく次の3つに整理できます。

関わり方立場・契約形態期間の目安
顧問・相談役型代表権は譲渡し、顧問契約・業務委託契約で経営面の助言役として残る数か月〜数年(契約で個別に設定)
PMI伴走型引継ぎ作業(PMI)に責任者として関わり、業務が安定した時点で退く目安は3か月〜1年程度
雇用契約での現場復帰型経営者としての立場を降り、看護師・スタッフの一人として雇用契約を結び直す本人の意向次第で長期も可能

どの形を選ぶか、あるいは選ばないかは、譲り受け側との交渉次第です。まずはそれぞれがどのようなものか、順に見ていきましょう。

看護師 上妻
看護師 上妻

「売却=退場」だと思い込んでいる経営者の方、本当に多いんです。でも実際には「代表としての責任は下ろすけど、顧問としてしばらく相談に乗る」「一看護師としてまた現場に立つ」という形を選ぶ方もいらっしゃいます。どう関わりたいか、まずはご自身の希望を整理してみることが第一歩ですね。

経営者が「顧問」として残るとはどういうことか

顧問・相談役型は、代表取締役としての法的な地位や株式は譲り受け側に譲渡した上で、顧問契約または業務委託契約を別途締結し、経営会議への同席、譲り受け側の経営陣とスタッフの橋渡し、取引先・関係機関への紹介といった役割を一定期間担う形です。代表者としての決裁権や法的責任は譲り受け側に移るため、経営リスクそのものを負い続けるわけではありません。

この「顧問として残る」設計を後押しする実務として、中小企業庁の「中小M&Aガイドライン(第3版)」では、クロージング(最終契約の決済)後に譲り渡し側の経営者や役員が事業の引継ぎ等のために一定期間対象会社に残留する場合、役員退職慰労金の支払をクロージング後に行うことをインセンティブとして活用することがあると紹介されています。一方で、クロージング後の事業の状況や譲り受け側の状況によっては、この支払いが不履行となるリスクにも同ガイドラインは言及しています。つまり、「顧問として残ってもらう・残る」という取り決めは、譲渡対価とは別に、期間・報酬・役割を契約書で具体的に定めておくべき事項だということです。

POINT

顧問・相談役として残る場合、代表者としての「経営責任」までは引き継がれません。決裁権・法的責任は譲り受け側に移り、旧経営者は契約で定めた範囲の助言・橋渡し役にとどまります。ここを曖昧にしたまま残留すると、責任の所在があやふやになり、譲り受け側との間でトラブルの火種になりかねません。

引継ぎ(PMI)期間、経営者はどう関わるのか

M&A成立後の一定期間に行う経営統合作業のことを、PMI(Post-Merger Integration)と呼びます。中小M&Aガイドラインでは、クロージングを迎えた後も譲り渡し側経営者は、譲り受け側による円滑な引継ぎに向けて誠実に対応する必要があるとされ(最終契約で具体的な協力義務を定めている場合はそれを果たす必要があります)、実務として次のような引継ぎ作業が挙げられています。

  • 役員・従業員や取引先等への、M&A成立についての報告
  • リース契約・賃貸借契約・金銭消費貸借契約等の名義変更、経営者保証の解除・保証人の変更
  • 業務フローの引継ぎ・業務管理体制の構築
  • (株式譲渡の場合)代表者変更のための株主総会・取締役会や登記手続
  • (事業譲渡の場合)売掛金の振込先口座の変更、給与体系・就業規則など人事労務関係の統一

訪問看護ステーションの現場に置き換えれば、これに加えて利用者・ご家族への挨拶や説明、ケアマネジャー・主治医など関係機関への引継ぎ、記録システムやオンコール体制の引継ぎといった、現場ならではの作業も発生します。旧経営者がPMI期間の責任者として関わることで、こうした引継ぎが「顔の見える形」で進み、現場の混乱を最小限に抑えられます。

同ガイドラインは、こうした引継ぎ等の作業には3か月〜1年程度の時間を要することが多いとしつつ、個別のケースによって異なるとも述べています。この工程を経て、譲り渡し側の経営者は徐々に事業運営から離れていき、譲り受け側が実質的に事業を引き継いでいく、という流れが一般的です。なお、より詳細なPMIの進め方については、中小企業庁が別途「中小PMIガイドライン」を公表しています。

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M&Aの基本的な考え方や手法、費用感まで一通り押さえておきたい方は、まずこちらの記事もご覧ください。

訪問看護ステーションにおけるM&Aとは?基本から分かりやすく解説

顧問残留・PMI伴走が守るもの――雇用の維持と処遇改善、地域医療の持続、そして経営者自身の生活基盤

「顧問として残る」「PMI期間を伴走する」という選択には、大義(社会的責任)と実利(生存戦略)の両方の意味があります。どちらか一方だけを理由に選ぶものではありません。

雇用の維持と処遇改善、地域医療の持続(大義・社会的責任)

ある日突然、代表がいなくなり、知らない経営陣に変わる——スタッフにとってこれほど不安なことはありません。看護師やケアマネジャーの離職が連鎖すれば、訪問看護サービスの質は下がり、最終的に困るのは利用者です。旧経営者が顧問やPMI伴走という形で一定期間現場に残ることは、「この人がいるなら大丈夫」という安心材料になり、急な体制変化による混乱や離職の連鎖、ひいては利用者の療養生活への悪影響を防ぐ役割を果たします。地域に訪問看護という医療インフラを、途切れさせず持続させるための現実的な手段でもあります。

経営責任・オンコールの重圧からの解放と、生活基盤の急変を避けられること(実利・生存戦略)

一方で、旧経営者自身にとっても、顧問残留やPMI伴走には現実的なメリットがあります。資金繰りの心配、24時間対応のオンコール当番、指定基準や実地指導への対応責任——こうした経営者としての重圧そのものからは解放されながら、顧問料や給与という形で収入が途絶えることなく、事業への関わりも一定期間残せます。「経営権をすべて手放したら、収入も居場所も一度に失ってしまうのではないか」という不安に対して、段階的に手放していく選択肢を用意できることは、生活基盤を急変させない現実的な意味を持ちます。

看護師 上妻
看護師 上妻

「経営の重圧からは降りたいけど、この事業所やスタッフとの関わりまで全部なくすのは寂しい」という本音、よく伺います。顧問やPMI伴走という形は、その両方を叶えられる現実的な着地点になり得ますね。

経営者自身が「看護師」として現場に戻るという選択肢

訪問看護ステーションの経営者には、もともと看護師・保健師として現場でキャリアを積んできた方が多くいます。こうした方にとっては、「経営者」という立場を降りたあと、雇用契約を結び直して一人の看護師・現場プレイヤーとして事業所に残るという選択肢も現実的です。

ここで一つ、押さえておきたい制度上のポイントがあります。訪問看護ステーションの管理者は、厚生労働省令「指定訪問看護の事業の人員及び運営に関する基準」第3条により、専らその職務に従事する常勤の者であること、かつ保健師・助産師・看護師のいずれかであることが定められています(やむを得ない理由がある場合を除く)。つまり、旧経営者が看護師資格を持っている場合、代表権は譲渡した上で、管理者やスタッフとして事業所に残ることは制度上想定されている形であり、特別な例外的措置ではありません。

注意

ただし、管理者は「専従常勤」が原則です。顧問・相談役として非常勤で関わりながら、同時に管理者を兼ねることはできません。「経営的な助言役として関わりたいのか」「現場の実務者として管理者やスタッフに戻りたいのか」は、性質の異なる選択であるため、譲り受け側との交渉の早い段階で、自分がどちらを望むのかを整理しておくことが重要です。

株式譲渡か事業譲渡かで「残り方」は変わる

M&Aの手法によって、旧経営者の残り方の設計にも違いが出ます。

項目株式譲渡事業譲渡
法人格・指定法人はそのまま存続。指定訪問看護事業者としての指定も維持される事業を譲り受け側の法人(多くは別法人)に移転。譲り受け側が新たに指定申請を行う必要がある
顧問残留の形同一法人内での顧問契約・雇用契約の締結し直しで対応しやすい譲り受け側の新法人と、改めて顧問契約・雇用契約を結び直す必要がある
手続き上の注意代表者変更の登記・株主総会等の手続きが中心指定の切り替えタイミングの調整が必要

特に事業譲渡を選ぶ場合、指定の切り替えを1日でも誤ると、数週間〜1ヶ月にわたって介護報酬・医療保険の訪問看護療養費が一切請求できない「空白期間」が発生するリスクがあります。この間は売上がゼロになるため、資金繰りに余裕のない事業所では給与の未払いに直結しかねません。回避するには、管轄の都道府県・厚生局との「同日廃止・同日新規指定」の緻密な調整が欠かせません。旧経営者が顧問として残る場合も、この指定切り替えのスケジュールと足並みをそろえて動く必要があるため、経験のある専門家に早い段階で相談しておくことが望まれます。

顧問契約・雇用契約で必ず決めておくべきこと

「顧問として残る」「雇用契約で現場に戻る」という選択をする場合、口約束で進めるのは避けるべきです。譲渡契約とは別に、次の項目を書面で明確にしておきましょう。

  1. 期間顧問契約・雇用契約の期間はいつまでか。更新の有無や条件も含めて定めておきます。
  2. 役割と権限の範囲経営判断への関与はどこまで認められるのか。決裁権は持たないことを明確にし、「助言役」なのか「実務担当者」なのかを区別します。
  3. 報酬顧問料・給与の金額、支払いタイミング(クロージング後払いとする場合は特に)を具体的に定めます。
  4. 退任・終了の条件どのような場合に契約が終了するのか、双方の合意解除の手続きも含めて取り決めます。
  5. 経営者保証の取り扱い個人保証を残したまま代表権だけ譲渡すると、旧経営者が保証人としてのリスクを負い続けることになりかねません。保証の解除・見直しの時期も併せて確認します。
看護師 上妻
看護師 上妻

「顧問として残ってほしい」という話は、交渉の最終盤になって出てくることも少なくありません。だからこそ、自分がどこまで関わりたいのか(あるいは関わりたくないのか)を、早い段階で仲介者・専門家に伝えておくことが、後々のトラブルを防ぐコツです。

顧問として残ると、経営責任も引き続き負うことになりますか?

いいえ。代表取締役としての法的な責任や決裁権は譲り受け側に移ります。顧問・相談役として残る場合は、契約で定めた範囲の助言・橋渡し役にとどまり、経営責任そのものを負い続けるわけではありません。ただし、契約内容が曖昧なまま残留すると、責任の所在があやふやになるため、役割の範囲を書面で明確にしておくことが重要です。

顧問料や引継ぎ期間の給与の相場はどのくらいですか?

公的な統計として公表されている相場はなく、案件ごとの交渉によって個別に決まるのが実情です。中小企業庁の中小M&Aガイドラインでは、譲渡対価とは別に、役員退職慰労金の支払をクロージング後に行い、残留のインセンティブとして活用する実務があると紹介されていますが、金額の目安までは定められていません。契約前に譲り受け側と具体的な条件をすり合わせることが必要です。

PMI(引継ぎ)期間はどのくらい見ておけばよいですか?

中小M&Aガイドラインでは、クロージング後の引継ぎ等の作業には3か月〜1年程度の時間を要することが多いとされています。ただし、事業の規模や引継ぎ内容によって個別に異なるため、あくまで目安として捉え、具体的な期間は譲り受け側との協議で決めていくことになります。

顧問にもならず、完全に引退することもできますか?

もちろん可能です。顧問残留やPMI伴走はあくまで選択肢の一つであり、義務ではありません。譲渡後は一切関わらず引退したいという希望も、譲り受け側との交渉次第で実現できます。自分がどちらを望むのかを、早い段階で明確に伝えておくことが大切です。

顧問として残る場合、スタッフにはどう説明すればよいですか?

決まった正解はありませんが、代表としての役割は譲り受け側に引き継ぐこと、その上で自分は一定期間、顧問や現場スタッフとして関わり続けることを、できるだけ早い段階で率直に伝えることが、スタッフの不安や離職の連鎖を防ぐ上で重要です。伝えるタイミングや順序は、譲り受け側とも事前にすり合わせておきましょう。

まとめ|M&Aは「退場」ではなく、関わり方を選び直す機会

「売却したら終わり」ではありません。経営という重圧そのものからは降りながら、顧問・相談役として、あるいはPMI期間の伴走者として、あるいは一人の看護師として、事業所やスタッフ、利用者との関わりを続けていく道は現実にあります。どの形を選ぶにせよ、大切なのは自分の希望を早い段階で言語化し、契約書という形で具体的に取り決めておくことです。

この記事のまとめ
  • M&A後の関わり方には「顧問・相談役型」「PMI伴走型」「雇用契約での現場復帰型」の3つがある
  • 顧問残留は、スタッフ・利用者の安心(大義)と、経営者自身の生活基盤の急変を避けること(実利)の両方を守る選択肢になり得る
  • PMI(引継ぎ)期間の目安は3か月〜1年。中小M&Aガイドラインでは経営者の誠実な対応義務にも言及されている
  • 訪問看護ステーションの管理者は保健師・助産師・看護師で専従常勤が原則。制度上、旧経営者が現場に戻る形も想定されている
  • 期間・役割・報酬・退任条件・経営者保証の扱いは、必ず契約書で具体的に取り決めておく

関わり方に迷ったときこそ、一人で抱え込まず、訪問看護の実務を理解した専門家に早めに相談することが、納得できるM&Aへの近道です。

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上妻 裕弥看護師/MBA取得
株式会社ビジケア代表取締役/看護師・MBA取得。これまで200社以上の訪問看護事業所へ経営コンサルティング・BPOサービスを実施。経営者・管理者のサロン等も含めると500社を超える。単月黒字化から複数拠点展開、事業承継まで支援し、看護師の視点で「続く経営」をつくる。別法人にて自身でも全国に訪問看護ステーション展開している。