「M&A」と聞くと、いまだに「経営に行き詰まった末の身売り」というイメージを持つ経営者は少なくありません。実際、周囲に相談すれば「そこまで追い込まれているのか」と心配されるのではないか、という不安から、後継者問題を一人で抱え込んでしまうケースも多いのが訪問看護業界の実情です。
しかし、この数年で状況は明らかに変わってきました。訪問看護ステーションの後継者不在という構造的な課題が数字として表面化する一方で、大手・異業種の企業が相次いで訪問看護事業を買収し、事業拡大の手段としてM&Aを積極的に活用し始めています。この記事では、なぜ今、訪問看護業界でM&Aが急増しているのか、その背景を公的機関のデータと実際の企業動向から具体的に読み解きます。M&Aの基本的な仕組みそのものについては、別記事「訪問看護ステーションにおけるM&Aとは?基本から分かりやすく解説」で整理していますので、あわせてご覧ください。
- 帝国データバンクの調査でみる、訪問看護ステーションを取り巻く後継者不在の実態
- 訪問看護ステーション数が15年で約3倍に増えた裏側で進む「淘汰」の始まり
- 大手・異業種企業が訪問看護ステーションの買収を加速させている具体的な理由
- 「M&A=身売り」というイメージが、全国的な事業承継の動向とズレ始めている理由
目次
数字が示す現実|訪問看護ステーションも「後継者不在」と無縁ではない
帝国データバンクが2025年11月に公表した「全国『後継者不在率』動向調査(2025年)」によると、全国企業の後継者不在率は50.1%で、7年連続の改善傾向にあります。改善が進んでいるとはいえ、企業の約半数はいまだに後継者が「いない」または「未定」の状態です。特に注目したいのが企業規模別の内訳で、大企業が24.9%にとどまる一方、中小企業は51.2%、そのうち小規模企業は57.3%と全国平均を大きく上回っています。
同調査を業種別(医療業を含む区分)でみても、後継者不在率は59.0%(前年比2.8ポイント改善)と、全業種平均の50.1%を大きく上回る水準で推移しています。この数値は医療機関全般を含む区分であり、訪問看護ステーションだけを切り出した公的統計ではありませんが、小規模事業所が多く経営者自身が現場のプレイヤーを兼ねる訪問看護ステーションが、後継者問題に直面しやすい業態であることは想像に難くありません。

「うちはまだ大丈夫」と思っていても、気づいたときには代表者が70代になっていた、という話はよく聞きます。同調査では、後継者不在のまま代表者の病気や死亡によって倒産に至った「後継者難倒産」が2025年(1〜10月)だけで194件にのぼると報告されています。早いうちに選択肢を知っておくことが、結局は一番のリスク管理になりますね。
訪問看護ステーション数は15年で約3倍|「開業ラッシュ」の裏側で進む淘汰
訪問看護業界は、この15年間で急速に拡大してきました。一般社団法人全国訪問看護事業協会「令和7年度 訪問看護ステーション数 調査結果」によると、2025年4月1日時点の全国の訪問看護ステーション稼働数は18,754か所。2010年の5,731か所と比べると、約3.3倍に増加しています。前年(2024年4月)の17,329か所からは1,425か所(8.2%)の増加で、事業所数はいまなお伸び続けています。
ただし、この「開業ラッシュ」の裏側では、静かに淘汰も進み始めています。同調査によれば、令和6年度中に新規開設された事業所は2,487か所と過去最高を更新した一方、廃止された事業所も886か所、休止も355か所にのぼります。新規開設の3分の1近い数の事業所が、同じ年度のうちに市場から退出している計算です。訪問看護は今後も需要拡大が見込まれる分野である一方、事業所間の競争は年々激しくなっており、「個人経営で何とか回している」だけでは立ち行かなくなる事業所が増えていくことは避けられません。

「事業所が増えている=儲かる業界だから安泰」ではありません。むしろ競合が増えるほど、人材確保や利用者獲得の難易度は上がります。後継者不在の経営者にとっては、体力があるうちに次の一手を考えられるかどうかが分かれ道になります。
大手・異業種企業が訪問看護ステーションを買収する理由|「ドミナント展開」という戦略
もう一つの大きな背景が、大手・異業種企業による積極的な買収の動きです。株式会社ツクイは2025年11月28日、栃木県宇都宮市で居宅介護支援と訪問看護の2事業所を運営する合同会社KIZUNA・絆の持分を取得し、完全子会社化したことを公表しました。同社のリリースでは、地域に根ざしたKIZUNA・絆の強みを生かしながらサービス拡充に取り組む狙いが説明されています。また2025年5月には、在宅介護サービスを全国展開するセントケア・ホールディングスが、大阪府池田市で介護サービスを展開する事業者を完全子会社化するなど、大手による訪問系サービスの取り込みが各地で進んでいます。
こうした動きの背景にあるのが「ドミナント展開」という考え方です。特定のエリアに複数の事業所を集約して展開することで、地域内での認知度や信頼を高めると同時に、事務作業やシステム、人材の共有による運営コストの削減も図れます。訪問看護業界は慢性的な看護人材の不足に直面しており、新規に人を採用して事業所をゼロから立ち上げるよりも、すでに看護師が在籍し、利用者との信頼関係が築かれている既存の事業所を買収するほうが早く確実だと判断する企業が増えているのです。調剤薬局チェーンなど異業種の企業が、医療・介護・調剤の連携を目指して訪問看護事業に参入するケースがみられるのも、同じ文脈です。

買い手企業が本当に評価しているのは、決算書の数字そのものよりも「そこで働く看護師」と「地域で築いてきた利用者との信頼関係」です。赤字や小規模であることを理由に「うちには声すらかからない」と決めつけず、まずは自社の状況を客観的に把握することが、後悔しない判断の第一歩になります。
この流れは経営者にとって「実利」と「大義」の両方に直結する
大手・異業種による買収の増加は、単なる業界のニュースではありません。後継者不在に悩む経営者自身にとっても、具体的な選択肢の広がりを意味します。ここで得られる価値は、大きく3つに整理できます。
1つ目は雇用の維持と処遇改善です。経営基盤の強い企業の傘下に入ることで、スタッフの雇用を守りながら、給与水準や福利厚生の改善につながる可能性があります。2つ目は地域医療の持続です。経営者が突然倒れて事業所が廃業してしまえば、日々サービスを受けている利用者やその家族の生活が立ち行かなくなります。信頼できる相手に早期に引き継ぐことは、地域に対する責任ある選択でもあります。そして3つ目が債務・個人保証からの解放とリスタートです。廃業を選べば、退職金の支払い、賃貸物件の解約違約金、リース残債の一括請求、個人保証の返済など、数百万円から数千万円規模の自己負担が発生し、最悪の場合は自己破産に至るケースもあります。M&Aによって負債を引き継いでもらう、あるいは売却対価で相殺できれば、手元にリスタートのためのキャッシュを残すことができます。

経営者としての責任とオンコールの重圧を抱えたまま、体力の限界まで頑張り続ける必要はありません。経営権を引き継いで一人の看護師・現場のプレイヤーに戻り、夜安心して眠れる生活を取り戻すことも、立派な選択肢のひとつだと思います。
「M&A=身売り」ではなく、全国的にも事業承継の主要な選択肢になりつつある
「M&A=経営に失敗した証」というイメージそのものが、すでに全国的な実態とズレ始めています。帝国データバンクの同調査によると、2025年に代表者交代が行われた企業のうち、買収・出向・分社化を含む「M&Aほか」を経緯とする承継は速報値で20.6%にのぼりました。血縁関係によらない「内部昇格」(36.1%)が、これまで最も多かった「同族承継」(32.3%)を初めて上回るなど、日本企業全体で親族外への「脱ファミリー化」が加速しています。M&Aは、もはや一部の特殊な事情を抱えた企業だけの選択肢ではなく、事業承継の当たり前の選択肢の一つになりつつあるのです。
もちろん、相手選びを誤ってよいわけではありません。同調査でも、2024年には一部の悪質な買い手企業による給与遅配や経営者保証をめぐるトラブルが表面化し、警戒感が広がった経緯が指摘されています。だからこそ、訪問看護の指定制度や実務を理解した専門家と一緒に、相手企業の実態を見極めながら進めることが重要になります。
M&Aの基本的な仕組み(株式譲渡・事業譲渡の違い、進め方の流れ、費用の考え方など)を体系的に知りたい方は、まずこちらの記事をご覧ください。
訪問看護ステーションにおけるM&Aとは?基本から分かりやすく解説よくある質問
訪問看護ステーションのM&Aは、今後も増え続けますか?
断定はできませんが、増加が続く可能性は高いとみられます。訪問看護ステーション数は15年間で約3.3倍に増加し、需要そのものも高齢化の進展とともに拡大が見込まれています。一方で経営者の高齢化と後継者不在という構造課題は簡単には解消されないため、大手・異業種による買収と、経営者側からの相談の両方が、当面は増加傾向で推移すると考えられます。
小規模で赤字気味の訪問看護ステーションでも、買い手はつきますか?
決算書の数字だけで判断されるわけではありません。買い手企業は「在籍する看護師」や「地域で築いてきた利用者との信頼関係」そのものに価値を見出すケースが少なくありません。実際の評価のされ方については、別記事で詳しく解説していますので、気になる方は本サイト内の関連記事もあわせてご確認ください。
なぜ今、大手企業がこれほど積極的に訪問看護ステーションを買収しているのですか?
看護人材の慢性的な不足のなかで、ゼロから事業所を立ち上げるよりも、すでに看護師が在籍し利用者との信頼関係がある既存の事業所を買収するほうが早く確実だと判断されているためです。特定エリアに拠点を集約する「ドミナント展開」により、事務作業やシステムの共有によるコスト削減効果も期待できます。
「M&A=身売り」という感覚を持つ経営者が多いのはなぜですか?
これまで日本企業の事業承継は、子どもなど親族に引き継ぐ「同族承継」が主流だったためです。しかし帝国データバンクの調査では、2025年に血縁によらない「内部昇格」が初めて「同族承継」を上回る見込みとなるなど、親族外への承継が全国的に広がっています。M&Aによる承継も速報値で20.6%を占めており、特殊な選択肢という感覚は実態と合わなくなりつつあります。
後継者不在のまま何も手を打たずにいると、どうなりますか?
後継者が決まらないまま代表者の病気や死亡などの不測の事態が生じ、事業継続が困難になって倒産に至る「後継者難倒産」が実際に発生しています。帝国データバンクの調査では、2025年(1〜10月)だけで194件が代表者の病気または死亡を理由とした後継者難倒産として報告されています。早い段階で選択肢を検討しておくことが、こうしたリスクを避ける近道になります。

まとめ|「M&A=身売り」ではなく、前向きな経営判断として広がっている
訪問看護業界でM&Aが増えているのは、偶然ではありません。後継者不在という構造的な課題、事業所数の急増にともなう競争の激化、そして人材確保を目的とした大手・異業種企業の積極的な買収という、複数の要因が重なり合った結果です。
- 後継者不在率は全国平均で50.1%、小規模企業では57.3%と依然として高い水準(帝国データバンク・2025年)
- 訪問看護ステーション数は15年で約3.3倍に増加した一方、令和6年度だけで886か所が廃止されている
- 大手・異業種企業は看護人材の確保とエリア集約を狙い、既存事業所の買収を積極化させている
- 全国的にも「M&Aほか」による事業承継は速報値で20.6%に達し、脱ファミリー化が進んでいる
「まだ早い」と先送りにするのではなく、いま自社がどのような選択肢を持っているのかを知っておくことが、経営者自身とスタッフ、そして利用者を守ることにつながります。
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ビジケアは、これまで訪問看護ステーションの経営サポートを通じて、数多くの事業所の課題に寄り添ってきました。その経験・知見・ネットワークを活かし、訪問看護ステーションに特化した事業承継・M&A支援サービスを提供しています。
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